国は適応策を模索、企業はビジネスチャンスに
地球温暖化“対策”の知られざる真実
暑いですね。読者の皆さんはこの蒸し暑い毎日をどうお過ごしだろうか。僕はじめじめした日々の連続に早くも夏バテ気味である。だからと言うわけではないけれど、これだけ暑いとさすがに地球温暖化との関連を疑ってしまう。実際、世界の平均気温は過去100年で0.74度上昇し、極地の氷が溶けるなどして地球の平均海面水位は100年間で17センチ上昇したという。また東京を襲ったゲリラ豪雨(突発的に降る局地的な大雨)の数は100年前に比べて約50%も増加した。温暖化の兆候は地球レベルだけではなく、僕たちの身の回りでもはっきり観察されるようになってきたのだ。(いずれも気象庁の調査・分析による)
その温暖化対策の軸足が今、大きく変わりつつある。国は温暖化の「防止・抑止」から「適応」へと転換を図り、一方、企業は温暖化を事業拡大のチャンスととらえ温暖化「適応ビジネス」にヒト・モノ・カネをつぎ込み始めているのだ。「適応」あるいは「適応ビジネス」とは具体的にはどんな動きなのか。またなぜそのような動きが出てきたのか。まずはあまり知られていない地球温暖化への適応の実相に迫っていこう。
農林水産省は温暖化に強い農作物の研究開発を強化
農林水産省は5月上旬、「今年度から地球温暖化対策として暑さや水不足に強い農作物の研究開発を強化する」と公表した。初年度は4億円の研究予算を計上、2年目以降も同規模の予算を確保して、2019年度までの5年間でコメや野菜、果物など10種類以上の新品種の開発を目指すという。
暑くても収穫量や品質を落とさない温暖化に「適応」した新品種を開発し、暑熱や干ばつなどによる農作物の被害を抑えるのが目的だ。その前提として農水省は、日本国内の年間平均気温が今より2度上がった場合、コメやキャベツ、リンゴなどの主要農作物の収穫量や品質がどれくらい落ちるのかを予測し、新品種の開発によってそれらの被害を半分以下にとどめる目標を打ち出すという。また新品種の開発には遺伝子操作技術の活用も検討するとしている。
農水省の取り組みは政府が打ち出した「温暖化適応路線」の一環だ。政府は今年8月をめどに温暖化による被害を軽減する国家戦略「適応計画」をまとめる予定で、「ゲリラ豪雨などによる水害への対策」や「南方系の病害虫侵入に対する検疫強化」「急増が予測される熱中症対策」などを盛り込むという。
温暖化への適応を模索しているのは政府だけではない。自治体も温暖化に適応した農作物の開発を進めている。農研機構・九州沖縄農業研究センター(熊本県合こうし志市)は民間と共同で暑さに強い新品種のイチゴ「夏の輝」を開発、2014年夏から農家向けに種苗販売を始めた。イチゴは暑さに弱く、栽培はセ氏20度前後が理想だが、夏の輝は28度以下なら栽培できるという。なぜ国や自治体は適応というキーワードを前面に掲げたのか。この背後には僕たちに重大な覚悟を迫る、ある深刻な予測が存在するのだが、それを説明する前に今度は企業の動きを紹介しよう。国や自治体の動きと歩調を合わせるようにして企業もまた温暖化適応ビジネスに続々と乗り出しているのだ。
砂漠化防止、監視システム……適応ビジネスが続々
温暖化を前提に暑さに強い新品種の開発に力を入れるのは日本政府や自治体だけではない。欧米のグローバル企業の取り組みはさらに先を行っている。
スイスの食品・飲料大手ネスレは暑さに強いコーヒー豆の開発に着手した。コーヒー豆は今、温暖化の進行による天候不順と病害によって世界中で不作に陥り、ブラジルやモカなど僕たちに身近なブランドは軒並み収量が減少している。とりわけジャマイカ産の高級ブランドであるブルーマウンテンの2014年度の生産量は約400トンとピークだった2007年度の5分の1にまで落ち込んだ。コーヒーの木の代表的な種類であるアラビカ種が温暖化の進行で世界的に危機にさらされているからだ。ネスレは遺伝子解析技術などを活用して、暑さに強い新品種の開発を目指すという。
同様の試みは他のグローバル企業も進めている。ユニリーバは干ばつに強い紅茶の開発を、ドイツの製薬・化学大手バイエルは高温・乾燥に強いダイズ、トウモロコシの品種改良ビジネスをスタートさせた。
日本企業も決して負けてはいない。
東レは干ばつによる砂漠化の被害が拡大するアフリカなどの途上国向けに、農地への砂の侵入を阻止するサンドチューブや、自動撒水の灌漑システムをセットにした砂漠農地化システムの販売に乗り出した。
NECはゲリラ豪雨などによる水害対策ビジネスに着手した。すでに開発した、土中の水分量から斜面崩壊の危険度を素早く解析する技術を生かして、2015年中に土砂発生前に緊急避難をうながせるシステムの実用化にめどをつけ、主に自治体に販売していく方針だ。富士通は農場の気温や湿度、降水量をリアルタイムで監視し、病害菌が繁殖しやすい状況を予測するなどの農業支援システムを開発、これまでに累計で約300の農家や農業生産法人に納入している。
個人向けの適応ビジネスも登場している。
新潟県長岡市に本社がある衣料メーカーのオンヨネは今春、蚊などの虫を寄せつけないアウトドアウエアのシリーズを販売した。ウエアには植物由来の虫よけ成分を付着した特殊繊維が使われており、オンヨネはそれらの販売を手掛けるインセクトシールドジャパン(本社・東京)と共同でウエアを開発した。
防虫加工の繊維は繊維商社の帝人フロンティアとアース製薬も共同で開発しており、「スコーロン」のブランドでアパレルに販売している。これまでは主にアウトドアウエアの素材向けだったが、この夏は一般のレディースウエアにも用途が広がっているという。
背景にあるのは南方系の病害虫侵入による疾病リスクの高まりだ。2014年夏に南方系の蚊であるネッタイシマカやヒトスジシマカがウイルスを媒介してデング熱が広がってから、虫よけのニーズは一気に高まった。
「適応」の背後に「温暖化は抑えられない」との見方
「適応政策」や「適応ビジネス」は地球温暖化に対する国や企業の姿勢の変化を表している。「温暖化を防止・抑止する」から「温暖化に適応する」現実路線へと軸足を移したと言ってもいい。
ではなぜ適応なのか。背後には「いっそうの温暖化はもはや食い止められない」との認識がある。
地球温暖化抑止に向けて国際社会はもちろん手をこまぬいているわけではない。今年末には第21回国連気候変動枠組条約締約国会議(COP21)がパリで開かれ、温室効果ガス削減目標について2020年以降の新たな枠組み合意を目指す方針だ。日本政府はCOP21に向けて国内の温暖化ガス排出量を2030年までに2013年比で26%削減する新しい目標を発表した。
しかし枠組み合意が形成されるかどうかは不透明だ。目標設定をめぐる先進国と新興国の対立は根深く、温暖化ガスの大量排出国である中国とインドはいまだに削減目標さえ示していない。
難題はそれだけではない。仮に枠組み合意がなされ、EUや米国のみならず中国、インドまでもが削減目標を打ち出し、かつ目標を達成しても、研究機関の多くはこんな未来を予測する。
「国連が目指す『産業革命以前からの気温上昇を2度未満に抑える』のは難しい」
なぜなら温暖化ガス排出削減の効果が現れるのはずっと先 ─ 今世紀後半からで、それまでは温暖化が進むと見られているからだ。
結果、どんな問題が発生するのか。
環境省は2014年6月、「このままだと今世紀末には日本全国の平均気温が今より最大で4.4度上昇する」と警鐘を鳴らし、また今年6月、温暖化によって以下の被害が生じるとの報告書をまとめた。
●コメは粒が白濁化する高温障害が発生し、全国的に品質が低下する。現在から3度以上気温が上昇すると北日本を除く日本全域で収穫量が減り、九州で一等米の比率が約4割ダウンする。
●果樹は栽培にふさわしい地域が北に移動し、2060年代には温州みかんは主力産地の多くで、リンゴも東北中部の平野部までが、それぞれ現在よりも栽培しにくくなる。またブドウやモモは高温による生育障害が発生する。
●熱中症は今世紀半ばには、今は冷涼な北海道や東北でも患者数が増える。65歳以上の高齢者の増加率が最も大きいと予測され、高齢化率が高まるとともに深刻な影響をもたらす。気温上昇による死亡リスクは今世紀末に最大で3.7倍に跳ね上がる。
●今世紀末には洪水を起こすような大雨が代表的な河川の流域で増加し、降雨量が1~3割増える。また温暖化によって海面が上昇し、高潮や高波の被災リスクが高まる。
温暖化は僕たちの仕事も変える
僕たちは今後、温暖化による深刻な未来の到来を覚悟しなければいけないようだ。だからこそ、温暖化防止・抑止に向けて官・民・個人挙げて努力する一方で、適応に向けても官・民・個人がそれぞれ模索せざるを得ないのが実情なのだ。だとすれば温暖化は私たちの仕事もまた変えていくに違いない。とりわけ適応は製品やサービスを開発する上でのキーワードになっていくだろう。
例えば冷涼感を与えるファッション素材や室温を上げない建設素材、南方系の病害虫による疾病への治療薬や予防薬、短期・局地的な気象変動をこれまで以上に正確かつ迅速に察知するIT(情報技術)システムなど、ニーズはいくらでも出てくるはずだ。
温暖化への適応ビジネス ─ それは温暖化をビジネスチャンスに変えるしたたかな事業であるとともに、温暖化から私たちの暮らしや社会を守る英知の結集と言ってもいいだろう。