コロナ禍で、海外の顧客を対象にしたネット通販「越境EC」での日本の商品の売り上げが急増している。売れ筋の分野は地域特産品からコミック、シティポップのLPレコードまで幅広く、顧客もアメリカや中国、ASEAN(東南アジア諸国連合)諸国など多様だ。
この波に乗ろうと鳥取県境港市などいくつもの自治体が越境ECビジネスに参入し始めた。越境ECビジネスを支援する企業の新規事業も次々に立ち上がっている。コロナ後も成長を続けると見られる越境ECは、私たちの仕事にどんな影響を及ぼすのだろうか?

写真はイメージです。
仕事でビジネス街や繁華街に出るたびに、コロナ禍は街の風景も変えたのだなとつくづく思う。以前は当たり前だった欧米やアジアからの観光客の姿を今ではまったく見かけなくなった。それもそのはずで、日本政府観光局(JNTO)によれば、2013年以降毎年2ケタの増加を続け、2019年には3188万人に達した訪日外国人旅行者数は、2020年には412万人と9割近くも減少した。しかも412万人のほとんどがビジネス目的の訪日だ。
ところがそんな外国人旅行者の急増と急減が、思ってもみなかった新たなビジネスチャンスを生み、成長させている。
コロナ禍をきっかけに、越境ECと呼ばれる海外の顧客を対象にしたネット通販で、地域特産品やアニメ関連など幅広い分野の日本の商品の売り上げが急増し、自治体や企業が続々と越境ECビジネスに参入しているのだ。
ハサミ、ミニカー、釣り具、コミック、トレカ・・・
まずは越境ECサイトでの売れ行き、売れ筋を見てみよう。
「Yahoo!ショッピング」や「楽天市場」「メルカリ」などの国内ECサイトの商品を、海外の顧客向けに英語や中国語など多言語で購入できるようにした代理購入サイト「Buyee(バイイー)」は、東京商工リサーチの調査では流通総額(代理販売を行った商品の総売上高)で国内最大の越境ECサイトだ。海外の顧客から注文が入ったらBuyeeが代理で国内ECサイトの商品を購入し、出品者である企業あるいは個人から商品をBuyeeの国内拠点まで発送してもらい、検品・軽量作業を行った後で海外の顧客に発送する。
その流通総額はコロナ禍以降伸び続け、2021年1~3月期の流通総額は前年同期比45.6%増の77億1600万円と4半期として過去最高を記録した。
売れている商品の分野も幅広い。
Buyeeの運営会社tensoを傘下に持つBEENOSグループの発表によれば、2021年上半期にBuyeeで最も売れた商品は、刃物の街として知られる岐阜県関市の刃物製造会社やおき工業の粘土細工用ハサミだった。以下、2位は倉敷化工(岡山県倉敷市)が製造する小型ポンプやモーター用の部品、3位はマテル・インターナショナル(東京・千代田)のミニカー、4位は日清フーズのドライイースト(パン酵母を乾燥させた食材)、5位は浜田商会(大阪市)の釣り具と続く。

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ハサミからシティポップまで──まさに売れる商品の分野は「何でもあり」の印象だ。しかも購入額は中国やASEAN(東南アジア諸国連合)諸国など多くの国で増えており、とりわけアメリカからの2021年1~3月期の購入額は前年同期比の2倍強(119%増)に達している。
きっかけは日本に行けなくなったこと
越境ECでの日本の商品の人気に火をつけたのは、コロナ禍で日本に行きたくても行けなくなってしまった人たちだ。これまでに何度も日本を訪ね、その度にアニメやゲームなどの関連商品を買っていった海外のオタクたちや、日本への旅行をきっかけに「モノづくり日本」を体現する製品や工芸品の魅力を知ったビジネスパーソンあるいはファミリー層──そんな世界各国に散らばる日本ファンが、日本に行かなくても日本の商品を入手できるルートとして越境ECサイトに目をつけたのだ。
そして今や購入層はより幅広く広がっている。世界各国に散らばる日本ファンは越境ECで購入した商品やその入手方法をSNSなどで発信しており、それらの情報に触れた多様な人たちが越境ECを利用し始めているのだ。
この動きは地方自治体や企業に新たなビジネスチャンスをもたらしている。
「水木しげるロード」など訪日外国人旅行者にも人気の観光スポットがある鳥取県境港市では、同市観光協会が今年4月、地元特産品を中国の消費者向けに販売する越境ECサイトを開設し、同市内で特産品を扱う企業20~30社程度の参加を募り始めた。

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ドリップバッグなどコーヒー関連製品を出品している澤井珈琲(境港市)も中国でのコーヒー人気の高まりを追い風に販売は好調で、ドリップバッグが売り切れることもあるという。
同市の観光協会は今後、鳥取県米子市や島根県松江市、さらにはオール山陰の関連企業を巻き込んだ越境ECに育てていきたいという。
埼玉県でも越境ECビジネスへの取り組みが始まっている。ジェトロ(日本貿易振興機構)の国内拠点の1つであるジェトロ埼玉が、県内の中小企業による越境ECサイトへの出品を支援する事業に乗り出したのだ。ジェトロ埼玉がアメリカの大手越境ECサイト「eBay(イーベイ)」に英文の「SAITAMAブランド」の特設ページを開設し、県内の中小企業から食品や化粧品、生活雑貨、工芸品などの出品を募る。ジェトロ埼玉はさらにSNSで多くのフォロワー持つインフルエンサーに情報発信を依頼するなどして、SAITAMAブランドのアメリカ市場開拓を狙う。販売開始はこの10月1日だ。
越境ECサイトeBayはアメリカの大手EC企業eBayが運営する。同社のECサイトの利用者はアメリカを中心に2億人近くに達しており、多くの潜在顧客を期待できそうだ。
さらに越境ECへの取り組みを支援するビジネスも立ち上がってきている。ANAホールディングスのグループ企業であるシステム開発のACD(東京・江東)は、中国人を対象に越境ECで購入した商品を届けるサービスを始めた。日本航空(JAL)も中国人による越境ECでの日本商品の購入増に対応するため、中国の物流会社と共同出資会社を設立した。
コロナ後も定着、市場規模は2027年には5兆円近くに
コロナ禍が生んだ越境ECでの日本の商品の人気は定着するのだろうか? コロナ後も売れ続けるのか、それともコロナ禍での特需に過ぎないのか。
結論を言えば日本の商品の売り上げはコロナ後も伸び続けるだろう。「日本には遠くてなかなか行けない、あるいは行く気はないけれど、日本の商品はほしい」という「日本商品ファン」は、日本を訪れた経験のある「日本ファン」よりもはるかに数が多い。コロナ禍をきっかけに始まった越境ECによる日本の商品の本格的な情報発信・販売促進は、そんな「日本商品ファン」の掘り起こしにつながるだろう。彼ら彼女らはコロナ後も越境ECを利用し続けるに違いない。人は一度覚えた楽しみや便利さをそう簡単には手放さないからだ。
しかも世界のEC市場の成長に伴い、越境ECの拡大も期待されている。アメリカの市場調査会社ジオンマーケットリサーチの推計によれば、2020年には9123億ドル(1ドル110円として100兆3530億円)だった世界の越境ECの市場規模は2027年には4兆8561億ドル(同534兆1710億円)に達する。
だとすれば越境ECはエンジニアにとっても活躍の場になるに違いない。購入層が多様化し、ネットに慣れていない人たちにも広がれば、三次元画像で商品を確認したり、商品の疑問にAIがチャット形式で答えてくれたりするような、今以上に分かりやすく利用しやすいユーザーインタフェースが求められるようになるだろう。不正アクセスや詐欺被害を防ぐためのセキュリティーもいっそう重要になるに違いない。より精緻で効率的な物流・配送システムの構築にも需要が生まれるだろう。
すでにシステム開発やウェブ制作を手がける多くのIT関連企業が越境ECへの参入を視野に入れているはずだ。
モノやお金が国境を越えて行き交うグローバル経済の進展を考えれば、越境ECの出現と成長は必然だったと言えるだろう。コロナ禍はそれを数年早めたのだ。
著者 渋谷和宏
1959年12月、横浜生まれ。作家・経済ジャーナリスト。
大正大学表現学部客員教授。1984年4月、日経BP社入社。日経ビジネス副編集長などを経て2002年4月『日経ビジネスアソシエ』を創刊、編集長に。2006年4月18日号では10万部を突破(ABC公査部数)。日経ビジネス発行人、日経BPnet総編集長などを務めた後、2014年3月末、日経BP社を退職、独立。また、1997年に長編ミステリー『銹色(さびいろ)の警鐘』(中央公論新社)で作家デビューも果たし、以来、渋沢和樹の筆名で『バーチャル・ドリーム』(中央公論新社)や『罪人(とがびと)の愛』(幻冬舎)、井伏洋介の筆名で『月曜の朝、ぼくたちは』(幻冬舎)や『さよならの週末』(幻冬舎)など著書多数。また本名の渋谷和宏の筆名では『文章は読むだけでうまくなる』(PHP)、『IRは日本を救う』(マガジンハウス)、『知っておきたいお金の常識』(角川春樹事務所)など。
TVやラジオでコメンテーターとしても活躍し、主な出演番組に『シューイチ』(日本テレビ)、『チャント!』(CBCテレビ)、『Nスタ』(TBS)などがある。