渋谷和宏の経済ニュース

第26回渋谷和宏の嫌でもわかる経済ニュース

「睡眠の質を改善して免疫力を高めたい」。コロナ禍でのそんな切実なニーズを背景に、「睡眠の質改善ビジネス」が活況を呈している。大手繊維商社の豊島は東京大学発のスタートアップなどと共同で、睡眠中の心拍数などを計測して睡眠の質を採点し、アドバイスするスマートパジャマを開発した。老舗寝具メーカーの西川はパナソニックと組み、睡眠時の呼吸や寝返りを計測してエアコンの温度などを調節するハイテクマットレスを発売した。睡眠の質改善ビジネスの隆盛はエンジニアの仕事にどんな影響を及ぼすのか?

コロナ禍で、睡眠の大切さを改めて指摘する医師などの専門家が増えている。ぐっすり眠ることで免疫機能が強化される一方、睡眠不足が続くと体内に侵入したウイルスを撃退するナチュラルキラー(NK)細胞などの働きを弱体化させてしまうからだ。
そんな差し迫った状況下で今、「睡眠の質改善ビジネス」が活況を呈している。

睡眠の質をセンサーで計測するスマートパジャマ

大手繊維商社の豊島が今年、東京大学発のスタートアップXenoma(ゼノマ、東京都)、セレクトショップ運営のアーバンリサーチ(大阪市)と共同開発したスマートパジャマは「睡眠の質改善」をうながす次世代のパジャマだ。
見た目はごく普通のパジャマと変わらないが、お腹のポケットなど数カ所にセンサーが付いており、睡眠中のパジャマの温度や心拍数などを計測して睡眠の質を採点、それらのデータをスマホに送信し、睡眠の質をより高めるにはどんな食事を摂り、どれだけ運動したら良いかなどの助言をアプリが行う。

また心拍数や呼吸などのデータをもとに、幅を持たせて設定した起床時間の中で最も快適に目覚められる時刻にアラームを鳴らしてくれる。さらに別売りのリモコンと接続すると、睡眠中のパジャマの温度変化に合わせて、エアコンの設定温度を自動的に調整してくれる。
価格は2万9000円(税抜き)とパジャマとしては高額だが、2020年6月にアーバンリサーチのオンラインストアで販売して以降、注目度は上昇中だ。

フィリップス・ジャパン(東京都)が2020年11月に発売した目覚まし時計「SmartSleepウェイクアップライト」も、先端技術を活用した次世代型の商品だと言えるだろう。

光で起床時刻を知らせる「光目覚まし時計」の一つだが、ただ光を点灯するのではなく、設定した起床時刻の30分ほど前から、日が昇るにつれて白みを増す太陽光の変化をLEDで再現しつつ徐々に明るくし、鳥のさえずりなどのアラーム音も交えて自然に目が覚めるようにうながす。就寝時は逆にLEDを徐々に暗くして入眠へと誘う。
希望小売価格は1万4960円と、こちらも目覚まし時計としてはいい値段だが、先行して発売した欧米など約20カ国ですでに合計200万台以上も売ったという。満を持しての日本発売だ。

狙うは3兆円超の巨大市場、食品メーカーも参入

参入企業はまだある。老舗寝具メーカーの西川は2020年3月、パナソニックと組んでセンサー内蔵の「エアーコネクテッド」を発売した。西川のマットレスが睡眠時の呼吸や寝返りを毎秒計測し、それらのデータをもとに、ネットワークにつながったパナソニックのエアコンが温度や風向き、風量を制御したり、同じくネットワークにつながった照明器具が光量を調整したりして快適な睡眠を助ける。
マットレスの価格は14万800円(税込み)と、こちらもマットレスとしてはかなり高額だ。しかもパナソニックのエアコンなどにつなげるサービスの利用料として月額990円(税込み)がかかる。それでもコロナ禍での質の高い睡眠へのニーズの高まりで、利用者は順調に増えているという。

食品メーカーも参入した。カルビーは2020年末、同社初の機能性表示食品として、睡眠の質を高める効果があるというフィルム状の食品「にゅ~みん」を発売した。
フィルムには、クチナシの果実などに含まれ、起床時の眠気や疲労感を和らげるとされる物質「クロセチン」が配合されており、就寝前に舌の上に一枚乗せ、上あごに張り付けて摂取する。

今、睡眠の質改善ビジネスに注目が集まっているのは、冒頭に触れた通りコロナ禍で睡眠の重要性が改めて指摘されているからだ。
睡眠中は成長ホルモンが多く分泌され、免疫細胞などの細胞を修復するという。このため睡眠の質が悪かったり睡眠不足が続いたりすると成長ホルモンが十分に分泌されず、免疫細胞を減少させてしまう。慢性の睡眠不足の人は十分に睡眠をとっている人に比べて1.5から2倍も風邪を引きやすいという調査データもある。

「リモートワークで睡眠の質低下」の調査も

ぐっすり眠ることは、まさに個人としてできるコロナ対策の基本なのだが、それに関して気になる調査がある。ライオンが2020年6月に20~69歳の就業者を対象に実施したアンケートで、在宅勤務などのリモートワークをしている人は、リモートワークをしていない人に比べ、睡眠の質の低下を感じている割合が多いとわかったのだ。

それによれば、コロナ禍前後での睡眠の変化については、「眠りが浅くなった」との回答が16.0%、「寝起きの熟眠感が悪化した」との回答が14.1%を占め、どちらも「眠りが深くなった」「寝起きの熟眠感が良くなった」との回答よりも多かった。またリモートワークをしている人のうち「眠りが浅くなった」との回答が20.6%に達し、リモートワークをしていない人の同14.2%を上回った。さらに「寝起きの熟眠感が悪くなった」との回答も、リモートワークをしている人は17.0%と、リモートワークをしていない人の13.0%を上回った。
ライオンはその理由について「働き方の変化が気持ちのあり方や生活のリズムにも影響をおよぼし、『睡眠の質」を低下させているのでは」と指摘する。

感染を避けるためのリモートワークが睡眠の質低下を招いてしまっているのはジレンマというか、やっかいな問題だ。
逆に言えばリモートワークの普及で質の高い睡眠へのニーズがさらに高まっているとも言えるだろう。
そうでなくても日本人の平均睡眠時間は年々減っている。NHK放送文化研究所が1960年から5年ごとに実施している国民生活時間調査の直近(2015年)の結果では、平日の睡眠時間は7時間15分と1970年に比べておよそ30分、減少した。
しかも経済協力開発機構(OECD)の調査では、日本人の平均睡眠時間はアメリカやイギリス、フランス、ドイツなどの主要先進国の中で最も短い。慢性的な睡眠不足は日本の労働生産性を押し下げ、年間15兆円もの経済損失を招いているとの試算さえある。

睡眠の質改善ビジネスは、潜在的にはコロナ禍以前から大きなニーズがあったのだ。コロナ禍がそれを一気に顕在化させたと言っていい。
だとすれば睡眠の質改善ビジネスはコロナ禍の期間だけでなく、コロナ終息後にも活況を続けるに違いない。

米調査会社のグローバル・マーケット・インサイトの推計では、先端技術を利用して睡眠の質向上を助ける機器の世界市場は2026年には約320億ドル(約3兆3000億円)と2019年の3倍に拡大する見通しだと言う。
日本での市場の伸びはきっとこれを上回るだろう。睡眠の質改善ビジネスはまさに巨大なフロンティアなのだ。

ではこのような変化とチャンスはエンジニアの仕事にどんな影響を及ぼすだろうか?
今後も先端技術などを活用して睡眠の質を改善させる製品が次々に生まれるのは間違いないだろう。
睡眠中の体温や心拍数、寝返りの数などのデータを計測し、睡眠の質を評価する寝具が続々と開発され、それらはネットワークによってエアコンや照明、音響機器、加湿器などと結びついていくに違いない。やがては住宅メーカーなども巻き込んで、睡眠時の状態に応じて部屋全体の環境を制御するシステムも誕生するかもしれない。

夜、ぐっすり眠るため、昼間の活動量などを測定してアドバイスを提供するウェアラブル端末やアプリも増えていくに違いない。
その際、機器をより使いやすくするユーザーインタフェースの追求や、利用者一人一人の体質や好みなどに応じてキメ細かく環境を制御したりアドバイスを提供したりするカスタマイズの実現などは重要な開発テーマの一つになるだろう。
睡眠の質改善ビジネスの広がりによって、睡眠という巨大なビジネスフロンティアもまたエンジニアにとっての活躍の場となるはずだ。

著者 渋谷和宏

1959年12月、横浜生まれ。作家・経済ジャーナリスト。
大正大学表現学部客員教授。1984年4月、日経BP社入社。日経ビジネス副編集長などを経て2002年4月『日経ビジネスアソシエ』を創刊、編集長に。2006年4月18日号では10万部を突破(ABC公査部数)。日経ビジネス発行人、日経BPnet総編集長などを務めた後、2014年3月末、日経BP社を退職、独立。また、1997年に長編ミステリー『銹色(さびいろ)の警鐘』(中央公論新社)で作家デビューも果たし、以来、渋沢和樹の筆名で『バーチャル・ドリーム』(中央公論新社)や『罪人(とがびと)の愛』(幻冬舎)、井伏洋介の筆名で『月曜の朝、ぼくたちは』(幻冬舎)や『さよならの週末』(幻冬舎)など著書多数。また本名の渋谷和宏の筆名では『文章は読むだけでうまくなる』(PHP)、『IRは日本を救う』(マガジンハウス)など。
TVやラジオでコメンテーターとしても活躍し、主な出演番組に『シューイチ』(日本テレビ)、『チャント!』(CBCテレビ)、『Nスタ』(TBS)などがある。

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