欧州では利子をもらえる住宅ローンも登場
マイナス金利の仕組みと狙い、驚くべき影響とは
日本銀行は日本で初めてとなるマイナス金利を導入した。銀行が日銀に預けているお金の一部に対して0 . 1 %の手数料を課したのだ。景気を刺激し、物価上昇に働きかけるのが日銀の目的だ。その目論み通り、金利が史上最低水準に下がった住宅ローンへの新規申し込みが急増、住宅需要が盛り返しつつある。一方で金庫や防犯システムの人気が高まるなど予想外の影響も出てきた。今後、マイナス金利の影響はどこまで広がっていくのか。そこに副作用はないのだろうか。
日本銀行は今年2月16日、日本では初めてとなるマイナス金利を導入した。銀行が日銀に預けているお金(当座預金)の一部に対して、これまでは0.1%の利子をつけていたのを、逆に0.1%の手数料を課すようにしたのだ。銀行にとっては日銀に預けたお金が減ってしまうのでまさにマイナス金利となる。当初は銀行が日銀に預けている約260兆円の当座預金残高のうち10兆円から20兆円を対象にするという。
マイナス金利の導入について、日銀は「物価上昇に働きかけるためだ」と狙いを説明する。銀行にしてみれば日銀に預けているとお金が減ってしまうので、企業への投融資や個人への貸し出しを増やさざるを得ない。貸し出しに回るお金が増えれば企業への貸出金利や住宅ローンの金利が下がり、設備投資や住宅需要を刺激して景気が上向く。景気が上向けば消費が伸び、物価は上がるというわけだ。
さらに株価を上げ、個人消費を伸ばしたい思惑もあった。マイナス金利を導入すると国債を初めとする債権などの金利もつられて下がっていく。この結果、株式の配当利回りの魅力が増し、株にお金が流れる。また金利が下がればドルとの金利差が開くので円安・ドル高になり、自動車など輸出企業の収益が拡大するだろうとの期待から、それらの株が買われる。株価が上がれば売却益を手にする人が増えるので消費はさらに伸びるだろうと考えたのだ。
果たしてその狙いは的中したのだろうか。日銀の思い描いた通りにお金は景気を刺激する方向へと回り出したのだろうか。そこに副作用はないのだろうか。
日本の金融政策史上、前代未聞の奇策は日本経済や私たちの生活・仕事にどんな影響を及ぼすのか、検証してみたい。
日銀の狙いは「一勝一敗」
まず日銀の狙いはどこまで的中しただろうか。今のところ一勝一敗だと言えるだろう。住宅ローンについては日銀の狙い通りにお金が回り出している。マイナス金利の導入で三菱東京UFJ銀行や三井住友銀行などメガバンクなどの住宅ローン金利は、一般的な10年間固定型の最優遇金利が年1%を割り込むなど過去最低水準に下がったため、住宅ローンの借り換えや新規申し込みが急増しているのだ。
日本経済新聞の集計によれば、三井住友銀行など主要8行の2月の借り換え及び新規申込件数は約2万8000件と前年同月に比べて2.5倍に達したという。住宅需要に火がつくのは時間の問題だろう。
一方、株高・円安への誘導には未だに成功していない。むしろ中国経済への先行き不安や原油安への懸念から投資家のリスク回避への姿勢が強まり、安全な通貨である円やリスクが小さい債権が買われ、市場は株安・円高に振れてしまっている。
マイナス金利という一国の金融政策では世界の金融マーケットを動かせない限界が浮き彫りになった印象だ。株価と為替に関しては、日銀の当てが外れたというのが本音かもしれない。
金庫が売れ、セキュリティーシステムが人気
日銀にとって想定外だったに違いない影響はこれだけではない。「風が吹けば桶屋が儲かる」ではないが、マイナス金利の風が巡り巡って意外な特需をもたらしているのだ。いくつか紹介してみよう。
金庫が売れいている
マイナス金利の導入以降、家庭用金庫が売れ出している。関東を中心にホームセンターを展開する島忠では、2月中旬から3月中旬までの1か月間の売上高が前年同期の1.4倍に達した。カインズが展開するホームセンターカインズでも2月は1月に比べて160~170%も売り上げが伸びたという。ちなみに一番の売れ筋は重さ40㎏の金庫(1万1800円)だという。
金庫特需の根底にあるのはマイナス金利の導入による預金金利の低下だ。三菱東京UFJ銀行や三井住友銀行などメガバンクの普通預金の金利は今や過去最低水準の年0.001%にまで低下した。金額にしてどのくらいかというと、1000万円を預けても年100円にしかならず、ATMやCDで現金を引き出すと1回の手数料で利子が消えてしまう。それを嫌がって家で現金を保管する「たんす預金」が急増しており、保管のための金庫の需要が高まっているのだ。
防犯システムの需要急増
「たんす預金」の急増はさらに意外な特需を生んでいる。現金を自宅に置いておけば盗難への不安やリスクは高まらざるを得ない。このため自宅や事務所に防犯カメラを設置し、何かあったら警備保障会社の社員が駆けつける防犯(セキュリティー)システムへの引き合いが殺到しているのだ。
綜合警備保障(ALSOK)では2月半ば以降、家庭用の防犯システムの資料請求が前月に比べて1~ 2割増えたという。付け加えれば先に「株高・円安への誘導には未だに成功していない」と書いたが、防犯システムの需要
拡大への期待から警備保障会社の株価については上昇基調にある。
百貨店の「友の会」が人気沸騰
三越伊勢丹や髙島屋など百貨店が提供する「友の会」への申し込みが急増している。毎月、一定額のお金を積み立て、期間が来ると積み立てた金額以上の買い物券をもらえるサービスだ。女性客を中心に人気が高まり、2月の新規申し込み口数は、大丸松坂屋が前年比約3倍、高島屋が約2.4倍、三越伊勢丹が2倍以上に達している。
人気の理由はマイナス金利の導入によって「友の会」サービスのお得感が際立ったからだ。最も一般的な毎月1万円を1年間積み立て、13万円分の買い物ができるサービスでは、1万円もお得になる。利回りに換算すると年率約8%、普通預金金利の何と8000倍だ。
これまでの常識では考えられない影響も
これらの特需の背景には、マイナス金利が持つ特異な性格がある。マイナス金利は一言で言えば、借り手を極端に優遇し、貸し手を極端に冷遇する金融政策だ。日本の金融政策史上、ここまで思い切って借り手有利を打ち出した政策はなかった。まさに前代未聞の奇策だからこそ、影響も前代未聞すなわち想定外にならざるを得ない。
では今後、マイナス金利の影響はどこまで広がっていくのだろうか。
それを見通す上で格好の先行事例がある。日本よりも早くマイナス金利の導入に踏み切った欧州の国々で起きている現象だ。そこではこれまでの常識では考えられないような影響が生じている。
利子をもらえる住宅ローンも登場
2012年7月にマイナス金利を導入し、マイナス金利幅が0.75%と日本の7倍以上に達するデンマークでは、何と利息をもらえる住宅ローンが登場している。住宅を購入するためにお金を借りると利息を支払うのではなく、もらえるのだ。
住宅ローン専門会社のノルディア・クレジットが提供する住宅ローンがそれで、半年ごとに見直す変動型の基準金利がマイナスになったため2016年上半期は約6100 人が毎月、117クローネ(約2000円)の利息を受け取る(ローンを組んだ人たちは手数料を支払わなければならないので、差し引きするとお金が出ていくことになるのだが、手数料自体は大幅に割り引かれる)。
それもあって首都コペンハーゲンの中心部などでは住宅を買い求める人が殺到し、マンション建設が急増、住宅バブルの気配さえ生じているという。
もし日銀がマイナス金利幅を拡大したら、デンマークで起きている現象も絵空事ではなくなるに違いない。
個人の預金もマイナス金利に
マイナス金利を導入している欧州の国々で起きているのは、「利子をもらえる住宅ローン」のような家計に美味しい現象ばかりではない。個人の預金にマイナス金利を適用する──銀行に預けていると利子をもらえるのではなく手数料を取られ預金の元本が目減りしていく、そんな間尺に合わない動きも出てきている。
スイスのオルタナティブ・バンク・スイスは今年1月から、個人が保有するすべての当座預金に年0.125%のマイナス金利を適用した。
1000万円を預けると年間1 万2500 円も減ってしまう計算だ。同行の広報担当者は個人の預金へのマイナス金利の適用について、「中央銀行によるマイナス金利政策は我々の経営に痛手となっており、費用の負担を顧客にお願いするしかない」と苦渋の説明をする。
オルタナティブ・バンク・スイスだけではない。
クレディ・スイスや、さらにドイツのコメルツバンクのような欧州の主要銀行も、大口顧客の預金に対して残高に応じてマイナス金利を課すようになった。対象は主に企業だと両行は説明するが、日本円換算で預金残高数億円以上の富裕層個人の口座も多く含まれると見られている。
黒田日銀総裁はマイナス金利導入決定に際して「欧州ではマイナス金利は個人の預金には適用されていないし日本でもその可能性はない」と発言した。しかしその妥当性には既に疑問符がついているのだ。
ここまでマイナス金利の狙いと効果、思わぬ影響について検証してきた。
では今後、私たちの仕事には何かしら影響が及ぶのだろうか。
もし日銀の狙い通り景気が刺激されれば、企業の設備投資や個人消費がさらに拡大していく好循環も夢ではないだろう。企業の受注・生産活動はより活発になり、ビジネスパーソンはより忙しくなるに違いない。経済が活性化するのは大歓迎だが、ビジネスパーソン一人ひとりにとっては効率的なワークフローの確立や仕事の優先順位の明確化などのタイムマネジメント(時間管理)がいっそう重要にならざるを得ない。今からその準備をしておくのも決して無駄ではないと思う。
一方でマイナス金利の導入は自己投資の大切さをいっそう際立たせてくれているのではないだろうか。先ほどマイナス金利は借り手を極端に優遇し、貸し手を極端に冷遇する金融政策だと書いた。それは煎じ詰めれば「お金の運用が極端に難しくなった」という意味でもある。株に投資するなどリスクを取らない限りは年2~3%、いや1%の運用益さえ難しい。
だとすればその分のお金を将来の自分に投資したらどうだろうか。資格取得や語学の勉強、教養などで自らの価値を高めるのだ。マイナス金利によって金融商品の利回りが下がっても自己投資の利回りは依然、健在だと思う。