茨城県常陸太田市町屋地区で明治時代の歴史を今に伝える登録有形文化財『旧町屋変電所(赤レンガ)』。“行灯の赤レンガと銀杏まつり”は、この地区の文化財や歴史の記憶を永久に残したいという「河内の文化遺産を守る会」の想いから企画運営されている活動のひとつです。本来であれば今年で19回目を迎えるこのまつりですが、2019年は台風19号による水害、2020年・2021年は新型コロナウィルス感染症感染拡大防止への配慮などにより、3年連続で中止となっていました。今年は、守る会の「何とか復活させよう」という強い気持ちによって、恒例となっているイベント等は開催されないものの、万全の感染対策の下、開催に漕ぎつけられました。
テクノプロ・エンジニアリング社は、第5回開催から運営をサポートしています。初期は、あくまでも個人によるお手伝いでしたが、近年では支店のメンバーもボランティアで参加してくれるようになり、今年は水戸支店とつくば支店からエンジニア・営業担当・採用担当合わせて13人で運営をサポートしました。
当日は、9:00から会場での準備開始です。この日のために雑草や下草がきれいに刈り取られた田んぼや土手、旧町屋変電所の周りに約500個の行灯をバランスよく配置していきます。午後からは、行灯が風で飛ばないよう支えとして“篠(細い竹)”を刺していくのですが、水が張られていない冬の田んぼの土は予想以上に硬く、まあまあ苦労する作業となりました。
昼休憩はまつり会場を離れ、エンジニアリング社第四統括の鈴木統括や今回のボランティアの音頭をとった茅根さんが、高校時代にお世話になった(ご迷惑をかけた?)うどん屋さんで名物うどんを戴きました。
昼食後会場に戻り14:00過ぎにはひと通りの作業が完了し、あとは15:30の行灯への点灯を待つばかりです。行灯には、近隣の小学生が思い思いに書いた色とりどりの絵や言葉が書かれていて、あくまでも本番は夜ですが、昼間見ても楽しむことができます。
4年ぶりの開催ということもあって、心待ちにしていた行灯の灯を見ようと日暮れ前から見物客が集まりだしました。15:30の点灯時点では、火がついているのかどうかも良くわからない感じでしたが、陽が傾くとともに徐々に行灯が存在感を増し、ほどなく辺り一面は幻想的な行灯の灯に包まれました。
休憩時間には・・・
お子さんに便乗して消防車に。消防士さんから帽子まで借りて、童心に帰り満面の笑み!
河内の文化遺産を守る会より
『“行灯の赤レンガと銀杏まつり”は、自治体からの支援を受けずに「守る会」が自主運営しています。地域活性化の活動として行政からのサポートも受けられるかと思いますが、かえって行政のサポートを受けないことで、「守る会」が考える地域に密着した手作りの祭りができるという良さもあるんです。』『とは言え、会のメンバーもだいぶ高齢化していて、テクノプロ・エンジニアリング社の若い皆さんがお手伝いしてくれて、毎回、本当に助かります。』と、まつりに対する想いを話してくれました。
テクノプロ・エンジニアリング社は、地元を愛し地域にささえられ発展しています。
旧町屋変電所(赤レンガ)とは
旧町屋変電所は、1905年から1981年までの76年間で約3,000万トンの粗鋼と約44万トンの銅を産出した日本を代表する銅鉱山である日立鉱山の電力不足を補うため、明治42年に建てられた町屋水力発電所の変電施設として建設されました。建設の2年後の明治44年には茨城電気株式会社が買い取り、現在の常陸太田地区に電燈を灯しました。
300KWを発電した町屋発電所の水車などの発電機器は、現在その姿はなく基礎などが遺構として残るのみですが、レンガ造りの変電所は保存されています。変電所としての役割を昭和31年に終えてからは、地域の公民館として利用されましたが、その後、取り壊し計画が持ち上がり忘れ去られる運命に直面しました。そんな中、「河内の文化遺産を守る会」の保存活動や働きかけによって、平成11年に国の登録有形文化財に登録され、今も「旧町屋変電所」として地域住民から愛され続けています。
なお、日立鉱山で使用する機械の修理製造部門から日立製作所が誕生するなど、日立鉱山は日立地区のみならず日本の近代産業史に大きな足跡を残しています。
斑石と呼ばれる珍しい石
町屋では、斑石(まだらいし)と呼ばれる石が採掘されていました。透閃石橄欖岩の一種と言われ、日本でもここ茨城県常陸太田市町屋と熊本県の2か所で産出される珍しい石で、文様によって、笹目、もみじ、ぼたん、べっこう、しもふりなどの名前が付けられています。現在は採掘されていませんが、水戸徳川家の墓標として使用されたことで有名になったとのことです。旧町屋変電所敷地内に標本が設置されています。
(2022.11.12)