同志社大学STEM人材研究センターの中田喜文です。
まだ寒い日もありますが、驚くほど温かい日もあり、3月になると肌に当たる風にも寒さの芯が消えて、どことなく春めいてきました。
私は、今は技術者の研究に明け暮れていますが、学者としての駆け出しのころは、労働経済学と言われる学問分野の研究者でした。
ですので、春が近づくと、どの様な会合に参加しても、必ず出る話題は「春闘」でした。
皆さんはこの「春闘」という言葉をご存知ですか?
今では、労働組合のある企業が少数派ですから、ご存知ないかもしれませんね。日本の労働組合は、今日に至るまで戦後75年間、いつかは労働条件がアメリカの水準に到達することを目標に、その引き上げ交渉を続けてきました。もちろん、労働組合の活動のみが理由ではありませんが、そのおかげもあって、今では日本の労働条件は欧米諸国に匹敵する水準に引き上げることができました。そしてこの春闘の暗黙の前提とされていたのは、「世界一給与が高い国はアメリカ」でした。では、この前提、今でも有効なのでしょうか?このコラムでは技術者の給与に焦点を当てて給与が世界一高いのはアメリカなのか確かめてみたいと思います。
Vol.12 多様性のアメリカ①「技術者でも専門で給与が変わる?」のコラムでは、アメリカの様々な分野の技術者の給与をご紹介しました。もっとも高い石油技術者の平均年収は、156,780ドル、1ドル105円で換算すると、16,461,900円。平均でこの水準、確かに高いですね。
では、ここで今月のクイズです。以下の4つの文章は、アメリカの給与水準に関するものです。
この中で、間違っている文章が1つだけあります。それはどれでしょう。
②アメリカのIT/ソフト系技術者の平均年収は、IT/ソフト系を除くアメリカの技術者の平均年収より高い。
③アメリカのIT/ソフト系技術者の平均年収は、ドイツのIT/ソフト系技術者の平均年収より高い。
④両国の物価の差を考慮すると、アメリカのIT/ソフト系技術者の時給は、ドイツのIT/ソフト系技術者の時給より高い。
如何ですか?少し難しいでしょうか。では、恒例のヒントです。
ヒント1
①と②の選択肢については、Vol.12 多様性のアメリカ①「技術者でも専門で給与が変わる?」の中で技術分野別の平均年収が示されていましたね。
ヒント2
③と④の選択肢についてはアメリカとドイツのIT/ソフト系技術者の労働時間を較べるとアメリカの方が長いことがわかっています。図1は、筆者が2016年に実施したアメリカ、ドイツを含む5か国のIT/ソフト技術者の年間労働時間調査の結果です。
ご覧の通り、ドイツだと週実労働時間が40時間を超える技術者は8.3%と1割未満です。しかし、アメリカではその割合は、56.7%で、半数以上です。ちなみに日本はどうかと言うと、95.7%。
なお、各国で所定労働時間が違いますので、図1で国別の残業時間の多寡は比較できませんが、日本を見ると所定労働時間を40時間とした場合、残業0時間組は、わずか5%未満です。
図1:5か国のIT/ソフト系技術者の週実労働時間分布(2016年)
ヒントを見ても判断材料が少なくちょっと難しいでしょうか。
改めて今月のクイズです。
以下のアメリカの給与水準に関する4つの文章の中で、間違っている文章が1つだけあります。それはどれでしょう。
②アメリカのIT/ソフト系技術者の平均年収は、IT/ソフト系を除くアメリカの技術者の平均年収より高い。
③アメリカのIT/ソフト系技術者の平均年収は、ドイツのIT/ソフト系技術者の平均年収より高い。
④両国の物価の差を考慮すると、アメリカのIT/ソフト系技術者の時給は、ドイツのIT/ソフト系技術者の時給より高い。
解答
では、解答です。まず①と②の選択肢については、表1をご覧ください。
表1:アメリカの技術者時給及び年収(2019年)
1)IT/ソフト系を除く、アメリカの技術者の平均年収は、88,800ドルです。この値を、1ドル105円で換算すると、9,324,000円となりますから、①は正しい文章です。
2)アメリカのIT/ソフト系技術者の平均年収は93,620ドルです。IT/ソフト系を除くアメリカの技術者の平均年収88,800ドルより高いですから、②も正しい文章です。
③と④については、図1でも使用した2016年調査で筆者が収集したデータから、図2と図3を作成しましたので見てみましょう。まず、③の年収比較の図です。
図2:為替レートで評価した5か国のIT/ソフト系技術者の年齢グループ別年収(2016年)
:単位万円
ここでも、アメリカ、ドイツ、日本、フランス、中国を較べましたが、どの年齢グループでもアメリカの年収が高いですね。③も正しい文章です。ちなみに日本の年収は、ドイツとフランスの間に位置しています。
では、最後の④はどうでしょう。①から③がすべて正しかったので④は間違いのはずです。
③でアメリカのIT/ソフト系技術者の年収は、ドイツのIT/ソフト系技術者の年収より高いことは確認できましたが、物価の差を考えなければなりません。
購買力で各国の時給を評価した図3をご覧ください。時給では、41歳~50歳グループを除けば、ドイツがアメリカを上回っています。41歳~50歳でも、ほぼ同水準です。図1で見たように、ドイツの技術者の労働時間がアメリカの技術者より短く、かつドイツの物価がアメリカより安いため、購買力で評価した時給水準では、図3のように関係が逆転しています。
図3:購買力で評価した5か国のIT/ソフト系技術者の年齢グループ別時給(2016年)
:単位円
つまり、IT/ソフト系技術者が1時間働いた対価として受け取る給与の購買力では、ドイツの水準がアメリカより高いのです。ちなみに、労働時間の長い日本の技術者の時給は大きく低下して、50歳代を除けばフランスよりも低くなります。
以上の結果、今月のクイズの正解は④となります。
如何でしたか。今回お見せした給与の比較数値は、アメリカ、ドイツ、フランス、日本、そして中国と言う限定された国のIT/ソフト系技術者に関するもので、世界のすべての国々、すべての技術者について比較した結果ではありません。残念ながら、そのような統計数値は、筆者の知る限り存在していません。しかし、今月のテーマであった「技術者の給与が世界一高い国はアメリカ?」に対する反証はドイツのIT/ソフト系技術者がしてくれました。とはいえ、アメリカの技術者の給与が高い事実に変わりはありません。とりわけ、日米の差は大きく、世界の中での日本の技術者の給与の相対的な位置が思い知らされます。日本の技術者が創造性を発揮し、価値創出を高めることで、対価として得る給与の価値は、まだまだ上げる余地があるようです。
同志社大学(2016)『「日本のソフトウェア技術者の生産性及び処遇の向上効果研究
:アジア,欧米諸国との国際比較分析のフレームワークを用いて」に関する成果報告書』独立行政法人情報処理推進機構 技術本部 ソフトウェア高信頼化センター委託事業
同志社大学STEM人材研究センターの目的の一つが、「科学技術の領域で活躍する方々がより創造的に活躍できるための環境と施策の構築に資する」研究を行うことです。日本の科学技術発展のためにも、多くの技術者が適材適所で活躍できる環境作りに寄与できる研究を行っていきたいと思います。