渋谷和宏の経済ニュース
第25回渋谷和宏の嫌でもわかる経済ニュース
2020.10.02
コロナ禍で苦境に陥っている旅行、エンタテインメント、スポーツ業界が今、コロナ終息後も見すえて、先端技術を活用した新たな楽しみ方を提案している。日本航空(JAL)はオンラインで完結するリモートツアーを開催、JTBは小中高校を対象にVR(バーチャルリアリティー、仮想現実)技術を使ったバーチャル修学旅行の提供を始めた。VRはさらにスポーツ観戦にも導入されている。これらの取り組みはビジネスや生活、さらにはエンジニアの仕事にどんな影響を及ぼすのだろうか?
社会・経済活動の足かせとなっているコロナ禍が、最も打撃を与えている業界と言えば、旅行やスポーツ、エンタテインメントなど、人の移動や集まりを伴うサービス業だろう。
観光庁が8月中旬に発表した国内の主要旅行業者48社・グループの6月の取扱額は、前年同月比で何と9割超の減少だった。政府は7月下旬以降、旅行業界や地域経済を支えようと、旅行代金を補てんする「GO TOトラベル」を実施しているが、東京発着の旅行が9月中旬まで除外されていたこともあって効果は限られてしまい、7月の取扱額も同約8割減だ。
加えて昨年、日本国内での旅行消費額約26.7兆円のうち約2割を占めたインバウンド(海外からの旅行者)がいつ戻ってくるのかも、まだ見えない。
スポーツやエンタテインメントも同様に苦しい。それを象徴するのが東京ドームの決算だ。同社は9月中旬、2021年1月期の売上高が前期比57%減の390億円、最終損益が180億円の赤字を見込むと発表した。赤字は10年ぶりだ。原因はコロナ禍でプロ野球やコンサートなどでの収容人数の制限を余儀なくされ、入場料収入やグッズ・飲食の販売が落ち込んでしまったことにある。
そんな旅行、エンタテインメント、スポーツ業界が今、コロナ終息後も見すえた可能性を開拓しようとしている。先端技術を活用して、コロナ禍での新たな旅行のあり方やエンタテインメント、スポーツ観戦の楽しみ方を提案し始めたのだ。
日本航空がオンラインで完結する仮想旅行を企画
日本航空(JAL)は7月中旬、搭乗から現地ツアーまでオンラインで完結する「おうちでTry on trips」の第1回ツアーを開催した。事前に宅配便で届けた特産品を賞味しながら、観光地の風景をモニター画面で見たり現地の人たちと交流したりする、移動も接触も伴わない仮想旅行だ。
第1回のツアーでは羽田空港(東京国際空港)から島根県の隠岐空港(隠岐世界ジオパーク空港)に飛ぶ架空の路線を開設し、全国から30組が参加した。おおよその旅程は次の通りだ。
参加者はビデオ会議システムのZoomに接続してオンライン搭乗し、事前に届けられたフルーツジュースを飲んだり、コックピット内からの離陸の映像を観たり、オンラインで出題されるクイズに答えたりしながら現地までの仮想移動を楽しむ。
20分ほどで到着すると隠岐島にいる現地スタッフと中継がつながり、オンラインでのカヤック体験や民宿のおかみさん達との交流を楽しむ。さらに事前に宅配で届いたサザエなど現地の名産を現地の人たちと一緒に調理し、他の参加者やパイロット、客室乗務員らとの会話を楽しむ。
参加料は自宅に届く特産品の量で5500~9000円(税別)。今後は月1回のペースで開催し、海外ツアーの開催も視野に入れている。
VRを使った修学旅行、野球観戦も登場
オンライン旅行ではVR(バーチャルリアリティー、仮想現実)技術を使った進化系も登場した。JTBは10月1日から、コロナ禍で修学旅行を取りやめた小中高校を対象に、「バーチャル修学旅行360」の提供を始めている。
その中身はこうだ。JTBは契約した学校に簡易型のVR用ゴーグルを送付する。これをスマホに装着すると、京都と奈良の神社・仏閣など修学旅行で訪れる名所・旧跡の360度の映像が流れ、生徒たちに旅行の仮想体験を提供する。
さらに追加オプションとして、舞妓(まいこ)や旅館の女将といった修学旅行で出会うはずだった人たちとのオンラインでの交流や、焼き物や染め物などの伝統工芸体験を用意する。伝統工芸体験は学校の教室などで開催し、インストラクターが学校に出向くか、あるいはオンラインで指導を行う。サービス価格はVR映像体験が生徒1人あたり4800円(税別)、追加のオプションによって価格が変動する。
VRを活用した旅行はもともと、持病や体力の衰えなどで遠距離の旅行が厳しくなっている高齢者らを想定して開発が進んでいた。それがコロナ禍で一気に実用化が早まったのだ。
VRはスポーツ観戦にも導入されている。ソフトバンクは今季、プロ野球の福岡ソフトバンクホークスが拠点のPayPayドーム(福岡市)で行う60試合で、VR映像の配信を始めた。球場のバックネット裏や1、3塁側の最前席などにVR用のカメラを設置し、利用者が送られてきたゴーグルをスマホにつなぐと360度の映像が流れる。首を動かすとそれに合わせて映像も動くので、「自宅にいながら球場の最前席で観戦しているような臨場感を味わえる」と言う。
5GやAIが仮想体験をさらにリアルにする
VRを使った修学旅行やプロ野球観戦はコロナ禍の制約が生んだ取り組みだ。ではなぜこれらがコロナ終息後を見すえた新たな可能性を担うのか。コロナ後も支持され続ける可能性があるからだ。
VRを活用した仮想旅行は、先にも書いたように旅行が体力的に厳しくなった高齢者に受け入れられるだろう。海外旅行に行きたいが時間がない(あるいはお金がない)という現役世代にも喜ばれるかもしれない。
テレビの登場は、それまでは試合会場で楽しむだけだったスポーツの観戦方法を変え、試合会場でのリアルな観戦と、テレビのナイター中継や大相撲中継とを、それぞれ別個のスポーツ観戦の楽しみ方として定着させた。同じようにVRの旅も、リアルな旅とは別の、かつリアルな旅と両立し得る新たな楽しみとして定着するのではないか。
そのスポーツ観戦もVRによってさらに多様化するだろう。試合会場でのリアルな観戦、それに近い臨場感を味わえるVRでの観戦、ビールなどを飲みながらのテレビでの観戦など、競技や状況によっていろんな観戦方法を選べるようになるはずだ。
加えて今後、現行の4Gに比べて通信速度が約20倍、同時接続数が約10倍、2時間の映画を3秒でダウンロードできる5G(第5世代移動通信システム)が普及すれば、VRの臨場感や画質は格段に上がっていく。カメラの切り替えや映像の編集などをAI(人工知能)で行えるようになれば、臨場感溢れる映像をさらに安価に提供できるようにもなるだろう。
KDDIは昨年夏、サッカーJ1の名古屋グランパスエイトと5Gの活用で提携した。拠点の豊田スタジアム(愛知県豊田市)にローカル5G網を整備し、リアルな映像にデジタル映像を重ねて表示する拡張現実(AR)の技術を使い、試合中に最新データを確認できるサービスなどの開発を目指しており、「コロナ禍が終息し、多くの観客が現地に来られるようになった時は、5Gで今まで以上に楽しめる観戦体験を用意したい」と言う。
付け加えればエンタテインメントの分野でも、ジャニーズ事務所所属のグループ約20組による有料ライブ配信が6月に行われて以降、いくつものライブ配信サービスが誕生している。これらのライブ配信にVRや5Gが活用される日も遠くないだろう。VR映像で満員のコンサート会場にいるかのような臨場感を味わったり、ステージ上のアーティストにVR用のカメラを装着してもらいアーティスト目線のVR映像を観たりする──そんな体験を楽しめるようになるに違いない。
このような 旅行やスポーツ、エンタテインメントでの新たな取り組みはエンジニアの仕事にどんな影響を及ぼすだろうか?
当面の課題はゴーグルなど機器の操作性や装着感のいっそうの改善だろう。スマホやネットに不慣れな高齢者でも、簡単に、かつ快適に使えるようにしなければ普及は進まない。さらに今後は5Gの利点を存分に生かした高精細で臨場感溢れるVR映像や、高度なカメラの切り替えや編集能力を持ったAIの実現も課題となっていくだろう。
コロナ禍をきっかけに旅行やスポーツ、エンタテインメントが変わろうとしている。これらの分野でもエンジニアの活躍の場が広がっていくだろう。
著者 渋谷和宏
1959年12月、横浜生まれ。作家・経済ジャーナリスト。
大正大学表現学部客員教授。1984年4月、日経BP社入社。日経ビジネス副編集長などを経て2002年4月『日経ビジネスアソシエ』を創刊、編集長に。2006年4月18日号では10万部を突破(ABC公査部数)。日経ビジネス発行人、日経BPnet総編集長などを務めた後、2014年3月末、日経BP社を退職、独立。また、1997年に長編ミステリー『銹色(さびいろ)の警鐘』(中央公論新社)で作家デビューも果たし、以来、渋沢和樹の筆名で『バーチャル・ドリーム』(中央公論新社)や『罪人(とがびと)の愛』(幻冬舎)、井伏洋介の筆名で『月曜の朝、ぼくたちは』(幻冬舎)や『さよならの週末』(幻冬舎)など著書多数。また本名の渋谷和宏の筆名では『文章は読むだけでうまくなる』(PHP)、『IRは日本を救う』(マガジンハウス)など。
TVやラジオでコメンテーターとしても活躍し、主な出演番組に『シューイチ』(日本テレビ)、『チャント!』(CBCテレビ)、『Nスタ』(TBS)などがある。