コロナ禍は「タッチレスエコノミー(非接触経済)」とも呼ぶべき新たなビジネスの波を生んでいる。手をかざすだけで行き先階を指定できるエレベーター、店の混雑状況をスマホに知らせるサービスなど、触れなくても操作できるタッチレス製品や、IT(情報技術)を活用して「三密」を回避し、人との接触を減らす情報提供サービスが次々に登場しているのだ。「タッチレスエコノミー」はどこまで定着するのか? エンジニアの仕事にはどんな影響を与えるのだろうか?
緊急事態宣言が解除されて1カ月上経った今でもコロナ禍の終息はまだ見えない。感染への不安は拭えないし、第2波の襲来にも身構えていなければならない。私たちに緊張を強いる状況が「タッチレスエコノミー」とも呼ぶべき新たなビジネスの波を生んでいる。
触れずにエレベーターの階を指定、ドア開閉も
その代表は、センサー技術を用いた、手で触れなくても操作できるタッチレス製品の登場だ。
エレベーター大手のフジテック(滋賀・彦根市)は感染リスクを避けたい利用者のニーズに応え、指で触れなくても行き先階を指定できるオプション機能を、今年4月、国内向けの主力エレベーター「エクシオール」を刷新して発売した機種に盛り込んだ。階数ボタンに手をかざすだけで赤外線センサーが動きを感知し、行き先階を認識してくれる仕組みだ。
このタッチレス機能は当初、いわば脇役の位置づけだった。新機種の主役は、増加する高齢者や訪日外国人のニーズを踏まえて採用した、業界初となるエレベーター専用エアコンや緊急時の4カ国語表示に対応する液晶モニターだった。フジテックはこれらの新機能を訴求して、オフィスビルやテナントビルを中心に初年度で3000台の販売を目指していた。
一方、タッチレス機能の需要については衛生管理が厳しい医療機関や製薬会社などの施設に限られるだろうと控え目に見ていた。
その脇役にコロナ禍で脚光が当たっている。フジテックは今後、感染防止に役立つタッチレス機能もまたオフィスビルやテナントビルでの需要開拓の切り札とする方針だ。
センサー製造などを手がけるオプテックス(滋賀・大津市)は、手をかざすだけでドアを開閉できる自動ドア向けの非接触スイッチ「クリーンスイッチ」を開発し、4月から販売を始めた。
マイクロ波で感知するセンサーを使い、手をスイッチから10cm~50cmの距離にまで近づけるとドアが開閉する。すでに使われているタッチパネルや押しボタン式の自動ドアでも、スイッチ部分を付け替えるだけで、ドアをまるごと取り換えなくても非接触ドアに改造できる。引き合いは好調で、オフィスやショッピングセンター、医療施設などに向けて年内に3000台の販売を目指すと言う。
新型コロナウイルスの市中での感染リスクが高まったのは3月以降だった。それから1~2カ月という短期間に感染拡大を防止するタッチレス製品がいくつも登場しているのは、もともと日本にはタッチレス機能の鍵を握るセンサー技術に強みを持つ企業が少なくないからだ。電子情報技術産業協会(JEITA)によれば、日本企業は世界のセンサー市場で50%近いシェアを持つと言う。
コロナ禍は長期化が懸念されている。欧米のみならずロシアやブラジル、アフリカ諸国でも連日、日本をはるかに上回る数の感染者、死亡者が確認されている。日本企業の強みであるセンサー技術を活用したタッチレス製品は今後、日本のみならず海外でも需要を開拓できるのではないか。
ITを使い「三密」を避けるサービスも次々登場
タッチレス製品だけではない。IT(情報技術)を活用して「三密(密閉・密集・密接)」を回避し、人との接触を減らす新たな情報提供サービスも次々に登場している。
ITスタートアップのバカン(東京・千代田)は、近くにいる客がスーパーや飲食店などの混雑状況を店に入る前にスマホで確認できるアプリを開発、5月下旬にまず九州で、6月には関東、関西で利用を開始した。
その仕組みはこうだ。スーパーや飲食店がバカンと利用契約を結ぶと、店内に専用端末が設置される。店の従業員は適宜、店内の混雑状況を確認し、専用端末に付いている3つのボタン、「空いている」「やや混雑」「満席」のどれかを押す。すると専用アプリをダウンロードした客のスマホにその情報が届く。
メリットは客と店のどちらにもある。客にとっては「三密」を避け、人との接触を減らすことができるし、店にとっては客に安心感を抱いてもらえるので来店が増え、かつ繁閑の波をならすことができる。利用客・利用店は着実に増えており、バカンは今後、北海道でも利用を開始したいと言う。
スーパーなど小売店の経営支援を手がけるインパクトホールディングス(東京・渋谷)の子会社で、販売促進用のデジタルサイネージ(電子看板)を設計・製造するimpactTV(東京・渋谷)は、AI(人工知能)の開発を手がけるベンチャー企業のAWL(東京・千代田)と提携して、小売店や飲食店の入り口に設置し、店内の混雑状況を知らせる「『3密回避』 AIサイネージ」を開発、5月から販売を開始した。
このデジタルサイネージには三密を回避するための工夫や技術がふんだんに盛り込まれている。客がやってくると、デジタルサイネージに内蔵された小型カメラが姿をとらえ、AIが人数や性別、推定年齢などを判断し、店の座席数やその埋まり具合を考慮して混雑状況を予測する。
予測はデジタルサイネージの画面に表示され、客が「三密」を避ける判断材料となる。チャットボットやメッセージアプリを使い、客のスマホに直接、混雑状況の予測を通知することも可能だ。それだけではない。AIは来店客がマスクをしているかどうかを判断し、デジタルサイネージの画面にマスク着用を促すメッセージを流したりもできる。
impactTVは、スーパーなど小売店の店内に置き、食品・食材の調理方法などの映像を流す店頭販促用デジタルサイネージでは国内市場で5割超のシェアを持つトップ企業だ。それらはコロナ禍をきっかけに、従業員による試食販売を減らし店内の三密を回避したい小売店から注文が殺到しているという。
impactTVの新サービスは、「タッチレスエコノミー」の深掘りを目指すものだと言えるだろう。
コロナ後も「タッチレスエコノミー」は成長
「タッチレスエコノミー」は今後、私たちの社会にどこまで定着するだろうか?
コロナ後の社会でも一定の需要を得られるのか。それとも一時期の特需に過ぎず、いずれワクチンが行き渡り、感染リスクがなくなったら失速してしまうのか。
結論を言えば「タッチレスエコノミー」はコロナ後も成長し続けるだろう。
手で触れなくても操作できるタッチレス製品や、三密を回避するための情報提供サービスには、感染抑止だけではない利点、利便性があるからだ。
タッチレスのエレベーターや自動ドアなら、子どもを連れていたり荷物を持っていたりして両手が塞がっている時でも、子どもの手を握ったまま、あるいは荷物を持ったまま手の甲をかざせば、行き先階を指定したり、ドアを開けたりできる。
小売店や飲食店の混雑状況を教えてくれるアプリやデジタルサイネージにしても、混雑を避けて買い物や食事をしたい私たちにとっては、いつどんな時でもありがたい。
人は一度覚えた楽しみや便利さをそう簡単には手放さない。しかも「タッチレスエコノミー」の中には、コロナ禍以前から私たちが潜在的に望んでいたモノやサービスが少なくない。
だとすれば今後もコロナ後を見すえて様々なタッチレス製品や、三密回避のための情報提供サービスが生まれるに違いない。
音声を認識して作動するコピー機などの事務機や照明、自分のスマホで開閉できるドアなど、不特定多数の人が利用する商業施設やオフィスではタッチレスが当たり前になるとともに、ユーザーインタフェースも多様化していくだろう。
三密回避のための情報提供サービスも利用が広がっていくに違いない。電車やバスの乗車率を1本1本リアルタイムで知らせたり、アミューズメント施設の混雑状況を予測したりするサービスも近い将来、登場するのではないか。
その際、機器をより使いやすくするユーザーインタフェースの追求や、情報をより直感的に理解できるようにするシステムの実現は、重要な開発テーマの1つになるだろう。
「タッチレスエコノミー」の広がりは、エンジニアの仕事にも新たなチャンス、新たなテーマをもたらすはずだ。
著者 渋谷和宏
1959年12月、横浜生まれ。作家・経済ジャーナリスト。
大正大学表現学部客員教授。1984年4月、日経BP社入社。日経ビジネス副編集長などを経て2002年4月『日経ビジネスアソシエ』を創刊、編集長に。2006年4月18日号では10万部を突破(ABC公査部数)。日経ビジネス発行人、日経BPnet総編集長などを務めた後、2014年3月末、日経BP社を退職、独立。また、1997年に長編ミステリー『銹色(さびいろ)の警鐘』(中央公論新社)で作家デビューも果たし、以来、渋沢和樹の筆名で『バーチャル・ドリーム』(中央公論新社)や『罪人(とがびと)の愛』(幻冬舎)、井伏洋介の筆名で『月曜の朝、ぼくたちは』(幻冬舎)や『さよならの週末』(幻冬舎)など著書多数。また本名の渋谷和宏の筆名では『文章は読むだけでうまくなる』(PHP)、『IRは日本を救う』(マガジンハウス)など。
TVやラジオでコメンテーターとしても活躍し、主な出演番組に『シューイチ』(日本テレビ)、『チャント!』(CBCテレビ)、『Nスタ』(TBS)などがある。