渋谷和宏の経済ニュース
第21回渋谷和宏の嫌でもわかる経済ニュース
2019.07.04
日本の農業が変わろうとしている。IT(情報技術)やAI(人工知能)などの先端技術を導入して作業の効率化に取り組んだり、これまではベテランの経験や勘に頼っていたノウハウを「見える化」したりして熟練の技能を伝承しようとしているのだ。
「環境モニタリング装置や小型カメラを活用してイチゴの糖度を向上」「ナシの木の剪定(せんてい)に必要な熟練の技をデータとして蓄積」「ロボットがアスパラガスを収穫」─新たな農業は社会に、そしてエンジニアの仕事にどんな影響を与えるだろうか。
日本の農業が未来に向けて自己変革を遂げようとしている。IT(情報技術)やAI(人工知能)、ロボットといった先端技術を導入して作業の効率化に取り組んだり、これまではベテランの経験や勘に頼っていたノウハウを「見える化」したりすることで、担い手の減少や高齢化の進展といった難局を乗り越えようとし始めたのだ。これらの動きは「スマート農業」とも呼ばれる。背景には、このままでは日本の農業が立ち行かなくなってしまうという生産者たちの危機意識がある。先端技術は農業の危機を救えるのか? まずはその現場を見てみよう。
ITでイチゴの生育環境を監視、品質を向上
千葉県屈指のイチゴ産地、山武(さんむ)市にあるイチゴ農園、小手苺園(おていちごえん)では、ITを使って、同園が出荷している「さちのか」などのイチゴ10品種の収穫量を増やしたり、品質を向上させたりする実験を続けている。ビニールハウスの天井に温度や湿度、二酸化炭素(CO2)濃度などを測る環境モニタリング装置や小型カメラを取り付け、インターネットに接続してビニールハウス内の状態やイチゴの生育状況を監視し、環境がイチゴの生育にマイナスに傾いた場合には監視システムが改善のための指示を出すのだ。このITによる生育環境の監視システムのメリットは、作業員が常にビニールハウスに張り付いていなければならない状況を改善し、人手不足を補うだけではない。ビニールハウスに取り付けた環境モニタリング装置は、作物の成長に欠かせない二酸化炭素(CO2)の濃度を測定し、濃度が落ちると二酸化炭素(CO2)を補充するように指示を出す。この機能がイチゴの生育環境を大幅に改善したのだ。二酸化炭素(CO2)は人間の目には見えないので、ベテラン農家でもその濃度を把握できなかった。環境モニタリング装置で計測したところ、昼間の大半の時間帯で濃度が不足していたことが分かったという。
ITによる生育環境の監視システムを導入してから、小手苺園ではシステムの指示にしたがい、二酸化炭素(CO2)の濃度が低下するたびに小まめに補充してきた。この結果、光合成によって成長が促進され、イチゴの粒が大きく成長したのに加え、糖度も増したのだ。ITによる生育環境の監視システムはNTT東日本千葉事業部(千葉市美浜区)が機器を提供した。山武市は今後、ビニールハウス内の環境監視だけでなく、イチゴの自動栽培・収穫も視野に入れている。さらに将来はモニタリングによって得た環境・生育データを共有し、地域全体での収量増につなげる意向だ。
ベテラン農家の勘を「見える化」しナシの木を剪定
あらゆるモノをインターネットに接続するIoTによって、ベテラン農家の経験や勘を「見える化」し、次代の担い手たちに熟練の技術を伝承しようと取り組んでいるのは鳥取大農学部らの研究グループだ。同研究グルームはベテラン農家がナシの木を剪定(せんてい)する時の勘やノウハウをデータとして蓄積し、経験が浅い農家に対してでも、ナシ園の映像を見ながらどの枝を残すかを示すことができるスマートフォンアプリの実用化を目指している。研究は鳥取市にある観光農園橋本園を舞台に、以下のステップを踏んで進んでいる。まず研究グループは同園内で、土木工事の現場などで地形を測量する3Dレーザースキャナーを使って剪定前後のナシの木を撮影した。続いて実際に剪定した枝の太さや農家への聞き取りデータを、3Dレーザースキャナーの画像と照合し、どの枝を切り、どの枝を残したのかを割り出して、それらの共通点を絞り込んでいった。
この作業を繰り返すことで剪定に必要な熟練の勘を「見える化」していく─。ではこれによってなぜベテラン農家の経験や勘が次代の担い手に伝承されていくのか。ナシの木は1年で枝が1メートルも伸びることがあり、毎年収穫が終わった12月ごろから3月ごろにかけて剪定が行われる。その時、将来美味しい実をつけられそうな元気な枝を見極めて残さなければならないが、枝を選ぶには熟練の目と勘が必要で、経験の浅い農家だと残すべき枝を切ってしまう恐れがあった。ベテラン農家がどの枝を切り、どの枝を残したのか、共通点を割り出せれば、切るべき枝や残すべき枝の太さ、形などの指標を導き出せる。研究グループはこの指標に基づいて、剪定作業を指示するアプリの実用化を目指しているのだ。ナシ農家も高齢化が進んでいる。研究グループの取り組みは、大量引退によって技術や技能が途絶えてしまうまでの時間との戦いだが、うまく「見える化」に成功すれば、その技術は他のベテラン農家の勘やノウハウの伝承にも応用できるようになるだろう。
AIやロボットを活用して生産性を向上
AIやロボットを農業に活用する動きもあちこちで活発になってきている。横浜市のシステム会社、プラントライフシステムズはAIやセンサーを活用して、トマトやイチゴ、コメなどの作物への水やりの時期やビニールハウスの設定温度をスマホが指示するサービスの提供を始めている。AIの活用によって、経験や熟練の勘に頼らず、高品質の野菜を作れるように支援するのが目的だ。佐賀県では、AIを搭載したロボットがアスパラガスを収穫した。自動収穫ロボットによる農業支援を目指すベンチャー企業inaho(本社は神奈川県鎌倉市)が地元の農家と共同で取り組んだ実証実験だ。アスパラガスの収穫ではこれまで、人がアスパラガスの成長度合いを目で確かめて、切断するかどうかを判断していた。AIを搭載したロボットは人に代わり、収穫に適したサイズのアスパラガスをAIが判断し、アームでつかんで切断して容器に入れる。このため収穫の作業効率は大幅に改善できる。その分の時間とエネルギーをブランディングや品質向上などにかけてもらうのがinahoの狙いだ。
日本の農業再生は待ったなしの状況
冒頭でも少し触れたように、日本の農業は担い手の減少や高齢化の進展に直面している。1995年に414万人だった就農者の人口が2018年には175万人へと半分以下になったのに加え、農家の高齢化によって就農者の平均年齢は67歳に達しようとしているのだ。若い人たちや定年を迎えた人たちなどの間で農業への関心が高まり、新規就農者はここ数年、毎年6万人前後に達しているものの、このままだとベテラン農家の大量引退によって就農者が一気に減少し、ベテラン農家の技能・技術が継承されないまま日本の農業が衰退してしまう恐れさえある。
一方で世界を見渡せば、人口増加や中国など新興国の国民の所得上昇によって、農産物の需要は拡大している。いずれは中国などに日本が買い負けてしまう懸念も拭えない。ITやAI、ロボットなどの先端技術による日本の農業の再生は待ったなしだと言っていいだろう。ではこうした動きは私たちの仕事にどんな影響を与えるのだろうか。今後、生産者たちの間で、低コストで使い勝手の良い生産支援のための技術・システムがより強く求められるようになるのは間違いないだろう。どのようにしてコストダウンを実現するか、どうやって生産者たちのニーズを汲み取り、かゆいところに手が届く技術・システムを届けるか、エンジニアの貢献を求められるようにもなるはずだ。農業の変革はエンジニアの仕事にも影響を与えそうだ。